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思考の整理録

はねバド!8巻までの感想 その1

先日『はねバド!』の1~8巻までを読了しました。

直近の話題ということで読了感想のようなものですが、ぼちぼち書いていこうと思います。

 

月刊誌『good!アフタヌーン』で連載中(H28.9.22現在)の『はねバド!』。

著者は濱田浩輔

女子高生がバドミントンをする、というのが非常にいい加減ではありますが概要です。巷では「バドミントン版『ピンポン』」なんて表現されている作品です。

ちなみに僕は濱田浩輔さんが描いた他の作品について触れたことが全くないので、氏の経歴を伴う作風云々については言及出来ません。

 

 僕が8巻まで読んで思ったのは「絵柄の変化の激しさ」と「最近のスポ根ものの潮流」です。今回は「絵柄の変化の激しさ」について書こうと思います。

 「絵柄の変化の激しさ」というのは読んでもらえれば明らかにわかると思うのであまり言及しませんが、この作品に対する印象が「可愛い女の子がスポーツをする(この点に関しては後ほど詳述)」というものから「熱血スポ根もの」という印象に切り替わるくらいには絵柄が変化しています。

 第一印象の「可愛い女の子がスポーツする」というのは1巻の絵柄から得たもので、まあその辺にありそうな所謂そういう層を対象にしたものの一種だろう、と1巻読了時点では考えていました。

 しかし、話が進むにつれて絵柄が変化していき、7巻あたりになると、えっお前誰?、となるほどに1巻と見比べると別キャラのようになっています。絵柄というかキャラデザ変更したんじゃないかってくらい変化してます。

 ただ、読んでいてそういう変化が散見されるシーンというのが総じて劇中では「バドミントンをしている」部分だけ、という点が個人的にはこの作品の「面白さ」を構成するファクターの1個だと思っています。と言いますのも、ストーリーの展開に合わせて絵柄を変化させている、というもので、主人公の綾乃は普段は大人しくて天然っぽい女の子なのですが、バドミントンにおいては「天才」と称されるほどの実力と頭脳プレイ(思考してプレイするという意味で)によって対戦相手を圧倒する選手、として描かれています。

 細かい設定に関しては原作を、現実のバドミントンへの置換と誤差に関してはそういう専門家に委ねるとして、綾乃は様々な選手との対戦を通してバドミントン選手としてより強く成長していきます。その成長がダイレクトに絵柄や作画に表現されていて、作者がそれを意図的に行っている、というのが僕が思ったこの漫画のすごいところです。

 作品媒体としての漫画の長所を上手に使った好例であるとも言えます。小説の叙述トリックの1方法のように、その媒体でしか用いることのできない、その作品だからこそ最も有用な表現技法というのはあるのだと僕は考えています。だからこそ、それが用いられている作品というのはその媒体で一番面白いのです。

 先述のように『はねバド!』ではそれがよく表現されており、日常シーンとバドミントンのシーンの変化を見比べてみるとそれがよくわかります。日常シーンは1巻から変わらずに可愛い女の子たちがわいわいしています。一方で、バドミントンのシーンに関しては、ストーリーが進むにつれて明らかになる綾乃の過去とそれに伴う彼女のバドミントンへのスタンスについてや他のキャラクターたちの成長を「絵柄の変化」によって表現しています。なので、絵柄が激しく変化しているように見える、という感想に至ったのだと考えています。

 

 ここまで大変長々と書いてきましたが、勿論ここまで書いてきたことは僕の所見で、単純に著者の技術向上による変化だとか作風が変化しただとか、というのが事実かもしれません。

 誤って認識して欲しくないのは、それが事実であろうがなかろうがこの作品の面白さは小動もしないということです。各主要キャラクターについてはしっかりとストーリー上で掘り下げられているので、そのキャラクターの行動原理について脈絡不明でイライラすることはありませんし、熱血スポ根ものとしてバドミントンを通してキャラクターの成長が描写される王道展開と歪んだ愛情というオリジナリティは読んでいて味わい深い爽快感があります。まだ完結しているわけではありませんが、一作品としてのクオリティは高い水準にあると思います。なので、結局のところ、機会があれば是非読んでみて欲しい作品、というわけです。

 若干消化不良と言いますか、中途半端な気がしますが、まだ慣れていないものだと容認していただき、今回はここまでで終わりたいと思います。

 次回は引き続き『はねバド!』の感想ということで今回書かなかった「最近のスポ根ものの潮流」について書きたいと思います。